2010年03月24日

おわらの文化・歴史Q&A

おわらQ&A(出典:越中八尾おわらQ&A「おわら風の盆を楽しむために」より)

〜文化・歴史Q&A〜

Q.なぜおわらというのですか?

A.文化9年(1812)の秋、遊芸の達人たちが滑稽な返送をして新作の謡を唄いながら町練りを行い、謡のなかに「おわらひ」という語をさしはさんで唄ったのが「おわら」に変わったという「お笑い節説」、豊年を祈り、藁の束が大きくなるようにとの思いから、「大藁」が転じて「おわら」になったとの「大藁節説」、八尾近在の「小原村」出身の娘が女中奉公中に得意の美声で唄った子守唄が起源だとする「小原村説」等が語源とされています。

Q.おわらはいつごろから始まったのですか

A.元禄15年(1702)、八尾町の開祖米屋少兵衛の子孫が保管していた、町建ての重要秘密文書の返済を得た喜びの祝いとして、三日間、唄、舞、音曲で町内総出で練り回ったのが始まりとされています。

Q.なぜ「風の盆」というのですか

A.立春から数えて210日にあたる日が台風の厄日とされてきたことから、風の災害が起こらないことを祈る行事として「風の盆」という呼び名が付けられ、方策を祈ると共に風災害の無事を願い、この時期に設定しました。

Q.踊りの種類について教えてください

A.おわらには「豊年踊り」「男踊り」「女踊り」の三通りの踊りがあります。町流しや輪踊りを中心に踊られるのが「豊年踊り」、舞踊的な踊りで主にステージなどで披露されるのが「男踊り」と「女踊り」です。
・豊年踊り−最も古くからある素朴な踊り
・ 男踊り−「かかし踊り」とも言われる勇壮な踊り
・ 女踊り−蛍狩りを現した踊り。「四季踊り」とも言われ、春夏秋冬それぞれに異なった所作がある。

Q.女性の帯はなぜ黒帯なのですか

A.その昔、おわらの衣装を揃えた際、帯まで手が回らなかったので、大多数の人が持っていた冠婚葬祭用の黒帯を用いて踊った名残です。

Q.なぜ笠をかぶるのですか

A.風の盆の町周りが始まった当初は、照れや恥ずかしさから人目を忍び、手ぬぐいで顔を隠して踊ったと言われますが、それが編笠に代わったといわれています。

Q.男踊りはなぜ「はっぴ」を着るのですか

A.若柳吉三郎によって男踊りが振付けられた際、はっぴ姿で踊りが振付けられたそうです。勇壮な踊りには、はっぴ姿が粋であったのではないでしょうか。

Q.おわらにはどのような楽器がつかわれるのでしょうか

A.おわら節を唄い演奏する者を「地方」(じかた)と言い、三味線、胡弓、太鼓が楽器として使われます。三味線は地歌三味線と呼ばれるもので、棹(さお)の太さは中棹で紅木・紫檀などで作られ、銅には犬の皮が張られます。また、胡弓はもともと中国から伝わった楽器で、三味線より小型で、糸と馬の毛を張った弓をすり合わせて音を出します。太鼓は「しめ太鼓」とよばれる小型のものです。昔は尺八も使用されたようですが、現在は使用されていません。

Q.おわらではなぜ胡弓を使うのですか

A.民謡辞典でも「越中おわらに欠かせない楽器」と紹介されるほどおわらの世界に溶け込んでいる楽器で、不思議なことに他の民謡や邦楽ではほとんど使われません。明治後期から大正初期にかけて当時浄瑠璃で名を上げていた松本勘玄が八尾によく出入りしており、その時に伝えたとされています。

Q.おわらの唄、囃しについて教えてください

A.越中おわら中興の祖と言われる初代おわら保存会長の川崎順二が、ともすれば野卑になりがちだった当事のおわら歌詞を立て直そうと、昭和初期に小杉放庵や野口雨晴、長谷川伸、佐藤惣乃介、川路柳虹等の著名な文人墨客らを私財を注ぎ込んで八尾に招き、「八尾四季」をはじめとする秀歌を詠ませ、現在のおわら歌詞の基礎を築いたといわれています。また、おわら独特の高く繊細な調子で上句、下句を一息で唄い切る唄い方は、大正時代の中ごろに浄瑠璃語りの江尻豊治が完成させたとされています。







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posted by ゆうだい at 10:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | おわらについてのQ&A | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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